気まぐれ日記

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旭専同窓会 西日本支部 

 

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このページは、過去のトップ記事を集め、適当に再編集したものと、管理者の気まぐれでその時々のぼやきを主にした殴り書きと理解してください。
したがって、管理者の独断と偏見で作られたページであります。

                                                 (2003/08/30 5M 福井 勇)

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2012/01/20

雪の旭川

2012/01/01

年末・年始

2011/12/11

月食

2011/12/04

関金温泉(鳥取県)

2011/04/24

災害報道

2011/02/11

還暦旅行

2011/01/04

年賀状

2011/01/02

雪の城崎

2010/11/21

小春日和の山里

2010/10/10

猛暑の影響

2010/09/21

神戸同窓会で臨時5期ぶり会

2010/06/07

会議に同窓生が6名も・・

2010/05/06

北見峠で吹雪に遭い、帰宅したら真夏日

2010/02/11

四国には坂本龍馬とアンパンマン

2010/01/12

左利き?右利き?

2010/01/10

雪遊び

2010/01/02

新年の思い

2009/12/13

お葬式・法要

2009/10/12

大腸ガン健診(内視鏡検査)

2009/10/08

クラス会に参加

2009/09/21

旭川総会に参加

2009/09/13

青森温泉三昧

2009/07/22

ナイター観戦

2009/03/29

城崎温泉

2009/02/22

霧島神社

2009/02/11

鴨なんばんそば

2009/01/12

雪の日・続き

2009/01/11

雪の日

2009/01/03

新春の思い

2008年

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2007年

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2005年

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2012/01/20

雪の旭川

 久々に、冬の旭川に行ってきた。目的は求人。自分の後継者がほしいと、母校に挨拶に出向いた。対象は、来年4月の新卒者。4年の2月から3月でほぼ内定するらしい。
 北海道は、神戸-新千歳の便で到着したが、空港も札幌界隈もいい天気。ところが、岩見沢あたりが豪雪で、列車も線路も雪まみれの状態で、雪ののトンネルを走っているような気分。積もった雪で脱線しないのかと不安になる程だった。ところが
、深川を過ぎると、きらきらの雪景色で、無事旭川に到着。降りた旭川の駅は様変わりして、タクシー乗り場が判らない。駅員が一生懸命除雪した道を過ぎて、昔のタクシー乗り場がそのままあった。

 高専への道は、すっかり様変わりした場所もあれば、昔ながらの場所もあり、冬の旭川は新婚旅行以来かもしれない。構内は女子学生が目立ち、さわやかに挨拶をしてくれて、オジサンはうきうきしてしまった。 
 (右の写真は、校門前のバス停から撮影)

夜は、友人と居酒屋で晩飯。冷房(?)の良く効いた席ですっかり冷え切り、ホテルまでの寒い事。歯をガチガチならして、ようやくホテルにたどり着いた。
テルは、天然温泉の大浴場が売りの「パコ旭川」 部屋のベッドも広く、暖房もよし。なかなかいい湯だった。

 翌朝、買い物公園(平和通)を通って、旭橋まで歩いていった。昔のアーケードは無くなり、道はロードヒーティング。ところが、過剰加熱したところは、歩道が水たまり。その深さも結構あって、長靴でないとびしょぬれになる。短いあしで、エイヤッと跳ぶと、着地場所でツルリ!なんとか転ばずに持ちこたえたが、考えさせられた。

 ようやく旭橋に着くと、河川敷では自衛隊が「旭川・冬まつり」の会場づくりの真っ最中。昔は常盤公園で開催していたが・・・・
寒風の中、作業する部隊、交代で暖を取る部隊。自衛隊が無いと、冬もイベントもままなりませんと、昨日のタクシードライバーが話をしていた。

あっちこっちとふらふらしながら、学生時代に通った「コーヒースタンド」によって、昔話に花が咲いた。店の娘さんが、私が神居古潭で結婚指輪を無くした事をしっかり覚えていて、ドジなお兄さんの記憶が刷り込まれていたようだ。
(ちなみに、この指輪は、旭川の友人夫婦が雪解け時期の毎週末に神居古潭に通いつめて、探しあててくれ、今も私の左薬指に光っている・・・友情に感謝)

寒さも懐かしさのアイテムだったが、この中で生活するのは、やはり大変だった事を思い出す。
・氷点下30度を超えた朝、ヤッケを着込んでも布団の中で震えていた事
・部屋のやかんが全部凍りつき、反射型の石油ストーブの火が寒さでだんだん小さくなっていったので、一部屋にストーブを持ち寄って暖をとった事
・風呂屋の帰り、洗い髪が凍って真っ白になった事
・風呂上りに冷やしたサイダーを飲もうと、窓の外につるしたら、ポンと音がして、雪のうえにサイダーの花が咲いた事・・・

 

2012/01/01

年末・年始

 昨年に引き続き、今年も城崎温泉に1泊した。旅行会社の陰謀か、昨年の宿は予約がいっぱいで今年はその隣の旅館になった。こうも違うのかというのを見せつけられたような気がして、料理×、接客×で、あまりの悪さにあきらめより、開き直って笑ってしまうような心境。旅館とは、「故郷に帰ってくつろぐような心地よさ」を求めて泊まるような気がする。ある意味では、仲居の接客は、実家に帰って些細なことは気にしない大雑把な環境を再現してくれたのかもしれない。
 昨年の宿が良すぎたので、これが昔風の普通の旅館なのかもしれない。確かにこの夜は、温泉効果もあるだろうが、ぐっすり眠れた。ただし、やっぱり朝食も含め、食事には不満が残る・・・
 前日までの雪も止み、道は快適に走行できた。

翌日(31日)は、昼食の「出石そば」まで時間があったので、「兵庫県立コウノトリの郷公園(年末休館中)」に立ち寄る。上空を悠然と飛翔する、コウノトリを見て感動し、おろしたてのデジカメに「望遠を買う金が無い豆粒大にしか写らん」と嘆く娘。孫は、そりに乗って大騒ぎ。
 雪を見てはしゃぐのは、道産子のDNAなのか・・・

 紅白歌合戦を見て、新年を迎える。
 翌朝(元旦)は、私が「雑煮」をつくる。田舎で、貧乏人の御馳走だった豚肉と玉ねぎで汁をつくり、これに餅を放り込んだ簡単雑煮だが、なぜか家族に好評で、毎年私が作る。

 正月は、毎年我が家で、カミさんの兄弟家族が集まって、鍋大会が開催されるが、今年は、神戸のホテルで妹一家と正月の食事を囲む。妹の息子(甥)が入籍し彼女と一緒に参加した。我が娘といつも残飯処理部隊をしていた頃の小太りした面影は無く、精悍な若者に変身していた。
3日頃には、また我が家の庭で、「焼き蟹」パーティになるのだろう。

 ホテルの催しもので「ビンゴ大会」が開かれたが、ビンゴ寸前のところで景品が無くなり大会終了。
不完全燃焼のまま帰宅する事になったので、明日もう一度、今度はホテルを変え、別のタレントが司会するビンゴ大会に行くらしい。初売り、福袋と主婦の財布は一気に緩む・・・これが日本経済を支えるのだから、もっと消費を増やせば景気は回復するのだ。と、やけくそで「社会貢献宣言!」

5日から、新年の業務が始まる。1昨年前の夏から実施していた、ボーイング787関連の胴体組立・艤装作業用足場は年末にほぼ完了した。これで、新工場での増産体制が整った。
私が関わった作業足場の写った写真が、PR誌に掲載されている。興味のある方は見てほしい。
Kawasaki Newsという広報誌の1ページ目の見開きの写真(組立ステージ)と、3ページの右下の胴体と一緒に写っている水色の足場(ファイナルステージ)がそれだ。これからまたこの足場の延長の計画があり、しばらく忙しい日が続きそうだ。

http://www.khi.co.jp/knews/backnumber/bn_2011/pdf/news164_01.pdf

2011/12/11

月食

 昨日は、朝からニュースで「今夜は皆既月食が見られます」といい、帰宅すると娘は孫と天体望遠鏡を組み立てろと、旦那にせがみ、孫は月食が何かも判らないのに、おおはしゃぎ。私も夜中に三脚を探し回り、ようやく月食に間に合った。カメラには望遠レンズをつけ、月を狙うが、ほぼ夜空の真上。デジカメは思うように設定が出来ず四苦八苦。なんとか撮影出来たが、今度は電池切れ。いやはや大変な夜中でした。写真自慢の私にとって、マニュアルモードでの撮影にチャレンジしたが、どうにもうまくいかない。もう少し、カメラを使いこまないと思うような撮影が出来ないと深く反省。結局は、カメラ任せの「夜景モード」での撮影が一番良かったのはカメラにバカにだれたようで悔しい!

 昨夜の冷え込みは半端ではなく、今日も週末恒例の温泉。一昨日スタッドレスタイヤに履きかえて、行く途中「早すぎたか?」と反省しながら走った。峠を超えると一面の雪。私の選択が正しいと自己満足。久々の雪景色に満足し、先週と同じ「関金温泉」と「真賀温泉」の梯子をして帰ってきた。関金温泉は2度目なので、改めて確認すると、トンネルの数は長短5本。湯船のサイズは幅1.1m*長さ1.6mで、4~5人も入ればいっぱいだった。私の感覚のいいかげんさが露呈した。

 いつも私があげた人に評判がいいので、温泉の帰りに買ってくる 落合/古見屋の「田舎羊羹」があり、昨日カミさんが、この羊羹をいつも利用する神戸の洋品店の店員にあげたら、「○○の丁稚羊羹は甘いだけで、この羊羹は羊羹界のエルメスです!」と大絶賛されたそうな。エルメスが最高峰の評価なのだろうが、おかげで今日は10個購入して帰宅した。また明日も神戸の洋品店に羊羹を持ってゆくらしい。ちなみに、うちのカミさんの好きな甘いものは、本高砂屋の「きんつば」か、舟和の「芋ようかん」くらいだ。

 

2011/12/04

関金温泉(鳥取)

 旭川では真冬日のニュースが流れ、西日本は今が紅葉の真っ盛り。

定年退職後、子会社に再雇用され、昨年夏からの仕事(ボーイング787機体製造工場の生産ラインの整備)もようやく目処が立ってきた。

 オーバーワークによる、持病の頸椎ヘルニア対策で、毎週末(日曜日)は、絶対休日に決め、温泉での疲労回復をもくろんだが、寄る年波には勝てず、週1日の休養では疲労のリセットが利かなくなってきた。

毎週、岡山県真庭市にある、「真賀温泉」に通っていたが、口コミで、峠を越えて、鳥取県の「関金温泉」が良いと聞いて、今日初めて足を伸ばした。
今まで、片道150kmをさらに30km程余分に走ればいけるのだが、なかなかその気になれなかった。雪が降る前に、峠の紅葉見物も兼ね、いつもより1時間早く家を出た。

 道中は、「狐の嫁入り」と言うらしいが、空は晴れなのに雨がぱらつく不思議な天気だった。いつものように、米子道/湯原温泉で高速を降り、湯原温泉を横目に地道を走る。峠のトンネルを3本程抜け、目的の関金温泉街。その一番奥(?)に、目的の共同浴場「関の湯」があった。

 隣にある寺院の駐車場に車を置き、おそるおそる玄関を開けると、受付で笑顔で迎えられた。たいまい「200円也」を支払い、男湯に入る。引き戸を開けると、「本日貸切状態で~す v(*^_^*)v」。

 扉のない、脱衣箱に脱いだ服を入れ、いざ浴室へ。2m角程の湯船に源泉が勢いよくながれこんでいる。ほのかな温泉臭のする透明な湯。かけ湯をして、木枠の湯船に足を入れる。温度は適温。これはいい湯だ。

 30分程ですっかり温まり、体が軽くなったような気がした。腰にだるさが戻り、疲労がかなり重症であったのを自覚した。帰るときには、受付(番台?)はオジサンからオバサンにかわり、「お気をつけてお帰り下さい」と声をかけていただいた。
有難うございますと言って、風呂を出た。また来る事にしよう。

-腰のだるさについて-
 行きつけのカイロプラクティックの先生が、教えてくれた。人の体には異常(変調)を知らせるセンサーが沢山あって、ケアが必要な時に「警告を出す」そうだ。
 第一段階は 体の変調に対して「ケア」を必要とすると「凝り・痛み」の自覚症状が現れる。
 そのまま放置すると、第2段階に進み、痛いままだと生活が出来なくなるので、「痛みをブロックして、麻痺させる」。この時は、症状がどんどん悪化しているのだが、本人には気がつかない。
 マッサージなどに行くと「もみ返し」と称する、翌日に痛みが現れるのは、第2段階から、第1段階に回復している証拠なのだが、本人は「下手なマッサージ」と誤解する。気の毒なのはマッサージ師で、あらぬ疑いをかけられる。

 仕上げに、いつもの「真賀温泉」(ここも今日は一人だけ)に入り、帰路は地道を南下し、真庭市勝山で「新そば」を食べた。久世からまた高速「米子道」に上がって、10分程走ると、猛烈な睡魔が現れ、サービスエリアで仮眠して無事に帰宅した。これも温泉効果なのかもしれない。

あすは、また5時起きで、愛知県まで片道250kmを走る予定だ。数10回同じ道を走っているが途中にある「長島温泉」には一度も立ち寄った事が無い。

文責:05M福井

 

2011/04/24

災害報道

 東日本大震災に被災された方々、そして原発事故で避難を余儀なくされた方々へ、災害へのお見舞申しあげます。神戸での震災では、復興業務で直接関与しましたが、今回の震災の映像を見るにつけ、その被害の凄まじさに言葉もありません。

 なんとか、復興してほしいと願うばかりです。神戸の復興事業は、国が出張って、見た目だけの復興でした。その地域(場所)を基盤としている零細企業は、復興のために(一時立ち退きを強要され、事業を中止。港(岸壁)が出来たときには、すでに倒産・廃業になっていました。
 今回の災害は、もっと深刻です。町ごと壊滅し、生活基盤も、事業も根こそぎ津波にさらわれている地域をどのような形で復興するのか?時間がかかる話です。出来れば、地域住民が一丸となって、主導権をとってほしいと願うものです。

 直接、現場に立ったわけではありませんが、今回の災害でも報道の偏りが気になります。神戸の時にも、3月20日を境に、震災報道は影をひそめ「地下鉄サリン事件・オーム真理教」が中心の報道になりました。

今回の大震災でも、報道の中心は、原発事故がメインとなり、震災関連のウエイトがかなり減っています。理由は単純明快 現在のメディアは「東京中心」なのです。特に民放はその傾向が著しく、「(東京を基盤としている)自分たちに直接影響がある内容を報道する」のです。
(BS放送の天気予報で東京の空模様を言っているのと同じこと。)
確かに、人口の1/10が集中している地域であることは間違いありません。全国からの支援を得るための、報道の役割は計り知れません。

 日本中いたるところで義援金の募金活動が行われています。この善意がどういった形で被災者に届くのか、私にはいまだにわかりません。神戸の時にも集まった義援金・支援物資が一番必要としている被災者に届かない事もたくさんありました。今回の災害は、自治体そのものが崩壊している例もあり、混乱の極みと想像されます。
 ばらまきしか能がない政府に、有効な使い道が示される期待はかなり希薄です。
 いずれ、使途をはっきりした支援団体が現れ、その内容が報道されたとき、募金に参加しようと思っています。

 2月の定年退職後、引き続き子会社へ転籍し、工場生産設備の対応に追われています。
震災の影響で部品の入手が思うようにならない状況で、納期までに完遂させるべく走り回っています。
 オーバーワークによる、持病の頸椎ヘルニアによる自覚症状が出始めたので、週末の温泉療養(疲労回復)で対応しています。

頸椎ヘルニアの発症は、震災の翌年でした。温泉への道筋で咲いていた菜の花の画像を掲載します。

災害復旧に対応されている方々におかれましても、お体ご自愛いただきたいと思います。

文責:05M福井

 

2011/02/11

還暦旅行

 2月の誕生日で、いよいよ還暦を迎えた。2月末日が定年退職の日になる。

 高専を卒業して40年、同じ会社に務め、30歳で単身赴任も経験した。素敵な伴侶に恵まれ、子供が2人、孫も2人さずかった。

 後半6年の子会社出向も含め、いろんなモノを作ってきた。ベルトコンベヤの設計にはじまり、石炭の貯槽払い出し設備、コンテナクレーン、水門、種子島のロケット組立設備(この扉は世界最大の引違扉としてギネスブックに登録)、ロケット移動発射台、明石海峡大橋の架設用クレーンの検討、ゴムタイヤ走行のコンテナヤード用クレーン、曲線走行クレーン、超重量物搬送台車、空気浮上走行台車、ボーイング787組立作業台、新幹線台車交換作業用ジャッキなどなど。
 震災の後、神戸港のコンテナクレーンの復旧では、体がガタガタになるまで働いた。

 上司には、恵まれた方なのだろう。新規案件を任され、「お前と心中だ!」と殺し文句でメロメロにされた上司。大卒が優秀で、高専卒は劣等生という、レッテルを貼った上司もいた。おかげで、持ち前の反骨気質がより図太くなった。部下にはあまり縁がなかった・・・・。

 なぜかしら、新規案件、特殊案件、新製品開発等の話にはいつも首を突っ込んでいた。
基礎物性の試験からはじまり、製品への理論展開、そして新案による技術を確立して製品開発し、プレゼン資料(当時はOHPが精一
杯)・カタログまで自作し、プロジェクタを抱えて日本中をPR活動した事もあった。おかげで、「クソ度胸」もついた。困ったときには、いつも相談に行って教えを請うた私の先生達はいつの間にか居なくなって、気がつけば私も定年の時期になっていた。
 3月からは、現在出向中の子会社に再雇用され、仕事はそのまま、給与6割に削減して働く事になった。まだまだ、しばらく忙しい日が続く。

 先日、家族が私の還暦祝いにと、鹿児島に旅行した。目的地は大好きな霧島。天孫降臨のパワースポットではいつも心も体もリフレッシュする。ところが、今回は新燃岳の噴火で、大好きな「霧島神社跡」は、立入禁止エリア。指宿の「砂蒸し温泉」と「霧島温泉」で体をほぐし、霧島牧場で乗馬体験を楽しんできた。出かける前日の夜、風邪での発熱が、うそのように吹き飛んだ。
 新燃岳の噴煙を7km程の距離で見て、轟々響く噴火の音に、大自然のエネルギーを感じてきた。帰宅後のニュースで、霧島上空を飛んだ帰りの飛行機が通過した10分程後で、大噴火がおこったとか。またしても不思議なエネルギーに守られているような気がした。
 

2011/01/04

年賀状

 昨年は喪中で、毎年の楽しみが無かったが今年は2年ぶりに年賀状を出した。宛先不明で返送されたのが数通。毎年、年賀状の授受管理に使っている「筆まめ」の住所データをみると、何となく音信不通になる理由が見えてくる。ご主人に先立たれ、若くして未亡人になった妻の友人(諸事情で転居された)。定年離婚した元上司(元の住所には該当者なし)。

 今年は、「リタイヤしました」という年賀状がやたら増えた。当然、私の同級生はほとんど60歳を過ぎている。私も2月で60歳になり、親会社を定年退職し、子会社に再雇用していただく予定だ。ただし、給与は60%にダウンする。
 仕掛りの仕事があるので、少なくともこの仕事を完遂するまでは、現職のままでいようと思っている。

 年賀状には、それぞれの個性やら、当人の状況が、1枚のはがきに現れていて、それを推測するのを、楽しんでいる。
 いつも長々と、小さな文字で近況やら自己の思いを書き綴っていた友人は、パソコンプリントで量産賀状に変わっていた。それまでは、ごく親しい友人にだけ出していたのが、きっと仕事の関係で多くの人に出す必要が出てきたのだろう。この友人は、かつて「メールがなんぼのもんじゃ」と豪語し、もっぱら手書きのハガキが通信手段だったが、今はメールの申し子のように駆使している。
1行で、見事に近況を伝えてくる友人もいる。結婚・離婚・再婚・退職・・・ 大好きな年賀状の一つ。

 年に一度の文通。たった一枚のハガキだけの交信であっても、まるで「再会できたような気がして、まるで同窓会のように元気がもらえる。

 我が家の冷蔵庫には、無くなった愛犬・父母・義理の弟の写真が貼り付けてあって、その中に30年程前に送った年賀状(当時は家族写真を白黒写真で焼き付けて作っていた)がある。娘たちの幼い姿が、孫とダブって見えるのは、年のせいだろうか。 最近、仕事で 「もうじき還暦ですから・・・」と言うと、「お若いですね。そんなお年に見えません」と返ってくる。お世辞と分かっても無性にうれしい。会社で周りを見回すと、私より年上は殆どいなくなった事を実感させられる。先日客先の担当者の年を聞いたら、娘と同い年だった。
やっぱり、年だ!

 

2011/01/02

雪の城崎(2010/12/30-31)

 年末は、29日まで、現場で試運転をしたが、設計が悪く、あちこち改造をする必要がでてきたので、年内完了を断念し、年明けから大改造をすることにした。名古屋方面からの帰省ラッシュを懸念したが、高速料金の割引は正月三が日だけとあって、事故渋滞以外は渋滞もなく帰宅できた。

 毎年恒例、年末30日だけ1泊の家族で温泉(企画:カミさん)は、今年は城崎温泉になった。
 30日からの寒波襲来予報だったが、この日は特に問題もなく宿についた。山陰の冬の名物「カニ料理」で腹は満腹。腹
ごなしに城崎名物の「外湯めぐり」を堪能。
星空に下駄を響かせて、「まんだら湯」の桶風呂、「鴻の湯」の露天風呂、改装した「御所湯」で、露天風呂を味わった。
 肌はすべすべ・体はホカホカ、ソフトクリームを食べながら、宿に帰った。

 夜が明けて、外を見ると、未明からシンシンとボタン雪が降り、瞬く間に10センチを超える積雪。宿から、長靴を借りて、朝飯前に、宿の近くの「一の湯」に入り、洞窟風呂を堪能した。
 温泉宿では、いつも朝食がおいしい。年末の医者の忠告(糖尿病・コレステロール過多)を忘れ、またしても満腹まで・・・・
 介護士の二女は、朝体調が悪いと、朝飯の時間に寝ていたが、仲居さんが気を利かせて、「おにぎり」を作ってくれたことに感動し、「来年もこの宿にに泊まろう」という事になった。土産物大好きの娘は、買い物で体調復活。めでたし!

 宿の支払いも済ませ、帰路の昼には、「出石」に寄って、「皿蕎麦」を食べる事にした。ところが、いつもなら30分程度の道が、雪でいっこうに進まない。原因は、降雪で雪に慣れないドライバーがノロノロ運転をしているため。新品のスタッドレスタイヤで完璧装備の車が、時速10k程度で走っている。降りたての湿雪なら、まず大丈夫と思うのだが・・・・。
でも事故を起こされるよりましと、あきらめる事にした。
 

 私の車には、先日新調したスタッドレス。後続の車がいないときに、ブレーキテスト。スパイクタイヤからスタッドレスタイヤに切り替わった頃に比べ、制動性能はずいぶん良くなっているのが嬉しくて、結構とばしてしまった。(北海道のつるつる交差点を走る勇気はありませんが・・・)
 大みそかには、紅白を見て、シルベスターコンサートのカウントダウン演奏を見て、床についた。

2011年がいい年でありますように。

2月末日で定年退職し、3月から引き続き現在の会社に新入社員として転籍し、まだまだ仕事は終わりません。  

   (福井)

2010/11/21

小春日和の山里

 神戸総会も終わり、西日本支部の役員会が20日にあったが、風邪をこじらせはや2週間。
皆さんと話ををするにも、咳が続いているし、元気な皆さんに風邪をうつしてもと思い、久々に安静にしていた。

しかし、窓から差し込む胃小春日和の陽光が、2日も続くと寝ているのが惜しくなって、こっそり近くの温泉にでかけた。

 陽の光が山の木々に幻想的に差し込んでいたので、数枚カメラに収めた。
 カメラに撮ると、自分が感じた陽の輝きが薄れ、なんともボケた写真だったが、コントラストを上げ、明るさを下げたら、ほぼ自分の感じた光になった。

氷河期を乗り越えた紅葉樹の種類の多さは、海がもたらした奇跡と先日のTV番組で言っていた。

色彩豊かな日本に生まれたことに感謝したい。

2010/10/10

猛暑の影響

 播州地方は秋祭りの真っ只中。

近くの稲美野天満宮も今日が祭礼の日で、神輿を池(天滿大池:兵庫県で最も古いため池)に入れる事で有名な祭り。
 同じ時期に高砂神社も祭礼(左の写真:神輿と、船渡行の会場)があり、ここは船渡行(ふなとぎょ)といって、神輿が岸壁から舟に渡る勇壮さと、神社の前で繰り広げられる、電飾に彩られた屋台(重量数トン)が並んで行われる練り合わせが見所の祭り。

播州の秋祭りは西へ西へと移って行き、最も知名度の高いのが、「灘のけんか祭り」といわれている姫路市白浜町の松原八幡神社で、新幹線姫路駅の構内に屋台が飾られている。なにせ、この時期になると、全ての仕事はストップし、祭り一色になる。(この時期の仕事は、祭りの日程で決められ、地元のTV局、ケーブルTV局が特集番組を作成する)

 昨日の雨が寒気の影響で朝霧になり、朝霧の幻想的な風景を撮影しようと、自転車で出かけた。
「これは!」という写真は撮れなかったが、数枚そこそこの写真が撮れた。(左の写真は、天滿神社の杜を背景に朝露に光るくもの巣)。

撮影していて気になったのが彼岸花(曼珠沙華)。

例年必ずといっていいほど9月23日頃に満開になる花が、今年は半月も遅れて満開だった。北海道から送ってもらって、庭に植えていたオンコ(一位)の木も葉っぱが真っ赤になって落葉した。やはり猛暑の影響なのだろうか。

2010/09/21

神戸同窓会で 臨時ゴキブリ(5期ぶり)会 ―由来:5期のメンバーが久しぶりに会おう―

 9月18日神戸で同窓会をした。クソがつくらい忙しい毎日だったが、この日にためにいろんな準備に対応した。前夜に、会費の領収書を作成したが、裏表を間違って印刷したため、やり直し。何度チェックしても、印刷されな人が数名。結局夜の1時半までかかってしまった。

 当日はとにかく眠たい。集合時間に間に合って、会場の受付で待ってる2人の顔を見たら、疲れを忘れた。

 理事会も終わり、総会・懇親会が始まると、私の役目は写真撮影。
以前から購入を考えていたデジタル1眼レフを当日買い求め、使い方も手探りで撮影。結果はいまいち。やっぱり、ぶっつけ本番は・・・期末試験の成績でも明らか。

 さて、我々5期は、今年が還暦の年。4月に早々と還暦を迎えた者、9月で還暦の者、年明けで還暦になるもの。みんな若い! 今回はバスケット部の白井(キャプテン)・青井・松元、サッカー部の池田・佐藤。バレー部の古山・福井、野球部代表の渡部。

 学生時代の成績なんぞは、社会ではとるに足らんと話がおちついた。なにせ、落ちこぼれ寸前の渡部が、「品質工学」に関する解説書を出し、果ては講演会までしているのだから。
 同期の連中は、バリケード封鎖に関わって、たくさんいなくなった。卒業したのが機械49人。青井とは4年を終わらず会っていないので、40年目の再会でもあった。

 会えば、毛が薄くても、気持ちは二十歳! 瞬く間にタイムスリップする。昔のままの「・・・だべや」が連発する。当時は絶対話せなかった裏話もたくさん出てきた。
寮生活の話。会長選挙の裏話。封鎖の裏側の出来事。部活の話。なぜかあだ名だけで名前を思い出せないやつの話。バイトの話・・・・夜はまたたくまに更けてゆく。

松元さんからのメッセージはこちら

  

渡部・青井・佐藤                                     松元 収・福井 勇

  

  

渡部義晴            青井 勇               白井 力

  

古山 純             池田 実            佐藤秀明

  

なごり雪も降るときを知り、ふざけすぎた季節の後で、今春が来て・・・

2010/06/07

会議に同窓生が6名も・・・

 私の親会社が札幌の某機械メーカーに製品を発注し、その機械メーカから、現場での一部製作と組み立てを請け負うことになり、6月7日に、製品の製作について技術打合せを行った。
 本件の仕掛け人である、3期機械卒の某商社の札幌営業所長を筆頭に、機械メーカからは、技術部長、技術部グループリーダー、資材部長、工作課長が旭川高専の同窓生。総勢11名の会議に6名が旭川高専の同窓生という不思議な空間。

 なんとか、安くていいものをという思いが、話を熱くする。私は一品料理の受注生産品ばかりの経験で、彼らは量産を前提にしたものづくり。ある意味での「異文化交流」のような気がする。

 20数年前に、明石海峡大橋の主塔架設の検討に参加して事がある。私の担当は、地上300mの高さに150tのブロックを吊上げる架設クレーン。橋梁屋と工事屋とクレーン屋の3人で始めた検討。同じような製品だと思っていたが、全く異文化の交流になった。私が常識と思っていることは、彼らに「感嘆」される。彼らの常識は、私には「新しい世界」で、ずいぶん勉強になった。(ただし、この年に右目の視力が1.2から0.3に落ちて、今は0.1になっている。左目は1.2のままだが…)

 今回の製品受注をきっかけに、この分野に進出を図る、札幌のメーカをバックアップできれば、と思っている。

 昨年あたりから、3期の先輩に紹介をもらって、年度末には函館に製品を納めることが出来た。北海道の景気は冷え込んでいるが、そろそろ、冬眠から覚めて欲しいものだ。

 

2010/05/06

北見峠で吹雪に遭い、帰宅したら真夏日

 4月30日に、北見で甥の結婚式があり、連休の前半を北海道で過ごした。27日に函館出張。28日から休暇に入ったが、札幌では雪がちらつく寒さ。
天気予報では石北峠霙・・・と道内は強風に寒波。 それにしても、たまらん寒さで、防寒着を持参したのは正解だった。

29日の美幌峠は強風と濃霧で車を走らせるのも神経を使ったが、
30日からようやく晴れて摩周湖(左の写真)・屈斜路湖(右の写真)を見ることができた。

摩周湖は展望台への道が雪の壁。壁の間を吹き抜ける風はまるで冷蔵庫のような効果で体の芯まで冷え切ってしまうようだ。

5月1日に、兄の家に寄り、湧別川の近くだったので、散歩に出かけた。
ここはこれから春。
ふきのとう・スミレ・ネコヤナギが花をつけ、遅い春を味わってきた。
野生化したクロッカスがさわやかな色をつけていた。

2日に帰宅して、3日に行われた町の恒例行事に、孫が参加するのでビデオ撮影を頼まれたが、この日は23℃。5日は30℃の真夏日になった。

寒暖の差で、くたびれかけた頭の中が発酵してしまいそうな連休だった。
 

2010/02/11

四国には坂本龍馬とアンパンマン

 今年も、娘と先祖の墓参りで四国(高知県)に出掛けた。父親の先祖は高岡郡津野町で四万十川の源流近く、母親の先祖は長岡郡本山町で吉野川の源流近く。日帰り出来ない距離ではないが、往復800kmはちょっときついので、高知市内に1泊した。
 高知は今大河ドラマの影響で「龍馬一色」泊まった宿も龍馬の生家の跡が売り物のホテル。そこかしこに龍馬関連のパネルやら写真がかざってある。地鶏のすき焼きにかつおのたたきと名物を賞味し、舌鼓。

極めつけは、喫茶室のコーヒー。500円で龍馬が飲める。左が飲む前のカプチーノで、右が飲んだ後。ムンクのようになってしまった。

時間ができたので、「アンパンマンミュージアムにもよってみた。孫がいなくても、結構楽しめる。娘と一緒にはしゃぎまわってお気に入りのキャラクターと一緒に写真を撮ってみた。 

翌日は、本山町の母の先祖の墓参りをして、帰りに「こんぴらさん(金刀比羅宮)」に行ってきた。
娘と、「雨なら途中まで」と言いながら、ぜいぜいと息を切らし、歩いているときはさほどの雨でもなかったので、鳥居の度に一礼をしながら、結局御本宮まで上がることになった。

賽銭をいれ、二礼・二拍手・一礼で、家内の健康と安全を願ってきた。娘も私も今年が前厄と知り幸せの黄色いお守りを購入して、下山した。娘は3年有効のお守りを購入し、「3年後にまた来る」と言ってご満悦。
途中、書院にある「丸山応挙の襖絵」を見て、虎の柔らかな毛の表現に感動し、鳥居の前で店を出せる「5軒の鼈甲飴露店」で一番きれいな売り子の店で飴を購入し、呼び込みに誘われ「金毘羅うどん」を食べて、満足(満腹)の金毘羅参りになった。
一角に「丸金醤油」の店があり、マルキンが金刀比羅から由来しているのを知り、醤油アイスなるものも販売していたが・・・。

帰りの高速道路は土砂降りの雨で、前日までの暖冬が一気に気温が下がり、強風の道中だったが、ご先祖様のご加護か、金毘羅さんのご加護か、事故も無く無事帰宅した。

2010/01/12

左利き?右利き?

 毎夜、メタボ対策で、犬の散歩に約50分ほど出かける。気温も下がり、季節風にさらされてあぜ道を歩いていると、尿意を催してくる。犬のマーキングにつられて、犬と連ションをする事がある。(夜のあぜ道で人目も無く・・・・)
防寒の手袋を脱ぎ、ファスナーを下げて、小便をするのだが、ふと思うといつも左手でしているのに気がついた。ためしに、右手でしようとすると、我が愚息は寒さで縮こまっているし、指は下着の重ねに戸惑って思う場所に到達せず、ちびりそうになった。右利きなのに、小便では左利きの自分を自覚した。

 そういえば、かつて「実習工場の鍛造実習(懐かしい)」で、大ハンマーを振り下ろして、鉛の塊をたたいて延ばす実習があったが、このときも左利きだった。普通、右利きの場合、右手が先・左手が手元に来るらしい(野球の右打席の握り)が、私は逆手になっていた。言われてから持ち替えて振り下ろしたが、自分でも恐ろしくコントロールが利かない。同僚の頭に振り下ろしてはいけないので、すぐ元に戻したが・・・・(笑)。
他にも(運動神経の鈍さが本当の理由かもしれないが)、私は野球のグラブが扱えない。左手が、極端に不器用なのだ。補球に行っても、右手が出てしまうのだ。

 自分では、手先が器用と自信はあるが、右手に比べ、左手が極端に不器用なのだ。遊びで、左手に箸をもち、物をつまむことは出来るが、頭の中で、右手の動き・力加減を分析し、左手で扱う動作を緻密に考えてようやく動かせることが出来るだけ。パソコンのキーボードも一応両手で打ってはいるが、左手の使う範囲はごくわずか。右手が左手のエリアに食い込んできている。

 左利きの人の話を聞くと結構面白い。「字は右手で、箸は左手」など、すべて左手という人は案外少なく、両刀使い的な人が多く、感心させられる。
会社の部下で、マウスを左手で扱っているのが居て、聞けば「左手でマウスを使えたら、右手の活用範囲が増える」と考えて使っているそうだ。これもなるほどと思える。

日本ハムのダルビッシュ投手は、練習で左投げをするらしい。TV番組で話していたが、彼は変化球が得意で、自分の思う場所で思うように曲げられるそうだ。その投げ方の研究のため、左で投げて、ヒントをつかむらしい。

 散歩途中の立小便から、おかしな話になったが、普段使わない左手を使うとひょっとしたら健康にもいいかもしれない。一度自分の生活パターンを「右から」はじめる動作を、「左から」に変えてみたり、右手でしている動作を左手でしてみるとおもしろそうだ。

 

2010/01/10

雪遊び (1/10トップページの雪ダルマ

 年末から年始の寒波で、兵庫県北部も大雪だったので、久々に雪遊びをしようと、娘一家と但馬(兵庫県の北部)地方に出かけた。

 しかし、先日の雪の情報がうそのように雪が無い。昨年もほぼ同じときに出かけたが(雪の日・続き-1/12)、お気に入りの蕎麦屋の前に積もった雪は無い。一面の雪原を眺めて食べた蕎麦屋の窓からは、白い色が全く見えない。皿そばの味には満足するも風景の物足りなさに、雪遊びが出来る場所を探すことにした。

 考えたすえ、この近くで神鍋(かんなべ:兵庫県で古くからあるスキー場)方面なら雪があるはずと、足を伸ばした。
 予想は的中!融けかけの雪だが、ほどほどの量があって雪遊びには最適。スキー場まで行くよりも、その途中にある「但馬ドーム」なら駐車料は無料だし、人も少ないので、ここで遊ぶことにした。

さっそく娘達と孫は雪合戦。

 私は久々の湿った雪なので、雪ダルマを作ることにした。水分が多すぎて重過ぎる。年のせいもあるかもしれないが、腰を入れないと転がせない。ようやく胴の部分を置き、頭の部分を載せ鼻・耳・目とつけていくと、孫たちも参加。ついにはおっぱいまでとりついてしまった・・・

やがて、孫はそり遊びに夢中になり、私は創作意欲が沸いて、犬の像をベンチの上に作った。モデルは、我が家の真っ黒な柴犬の雑種。孫は「白いベンちゃん」と喜んでくれた。

帰りは城崎温泉で湯につかり、兵庫の冬を楽しんできた。

  

 

2010/01/02

新年の思い

昨年11月に義母が他界し、今年の正月は「喪中」。
年末に喪中はがきを送付し、案の定年賀状はほとんど無い。

 かつての上司から、年末に「寒中見舞い」が届いた。その気遣いに胸が熱くなった。
直属ではなかったが、技術的にも人間的にもすばらしい方で、この人になら安心して任せられる信頼感があふれていた。現役時代には、札幌ドームの空気浮上式移動グランドのプロマネをされ、全く新しい試みを見事成功させた。自分もこうありたいと思うけど、いつも足元に及ばない自分を見つけ反省させられる。

 自分は、「生涯現役の技術屋」を目標にしているが、環境はなかなかそうさせてもらいにくい状況になりつつある。
 昨年4月に上司が変わり、現状の組織で、部下に任せて指導重視の要求が出てきた。それはそれで大切な問題だが・・・。

 果たして現状の弱小組織の中で、一線を引いて部下に仕事を任せられるか。
 顧客への対応を、部下に任せると、心配事と責任だけが増えるだけという思い上がりの性格なので、かつての上司が「あんたに任せた」「あんたと心中だ」と殺し文句で私を手玉にとったように、はたして自分が出来るか・・・

 昨年亡くなった中尾元会長がよくおっしゃっておられた「少数精鋭という言葉があるが、これは少人数の精鋭で仕事をすることではない。誰でも少人数の環境におかれると精鋭になる。」という言葉をかみ締めて、思い切って若手に任せるべき時なのか・・・と悩んでいる。

 ある意味で、今年が自分の「現役技術者として対応する正念場」なのかも知れない。

 

2009/12/13

お葬式・法要

 先日 義母が亡くなって(享年86歳)、ついに「親」と呼べる人がいなくなった。
葬儀にかかわると、親戚・近所・知人などいろんな人が故人を偲んで、弔問に来てくれる。ありがたい話だ。
 葬式が終わって、それで終了かと思っていたが、次から次へと行事が待っている。近所のお寺が震災で傷んだので、檀家から80万円づつ寄付を集め、ようやく普請が終わったが、まだまだ不足するので、お寺さんの営業活動なのかと思っていたが、故人が、この世からあの世に行くための手助けをするのがその行事らしい。
(「坊主丸儲け」のお布施集めのイベントという認識を修正することになった)

ただ、中陰の法要には、住職では無くその息子(私の娘より若い)が回っている。
供養の意味を聞いたが、還暦目前の頭では記憶能力が怪しくて、インターネットで調べてみた。若坊主の言っていた事がわかりやすく記載されていた。(インターネットはとても便利だ)
七日(逮夜)毎に、いろんな仏様の前で、故人が生前行った(悪)行に対して裁きがあるらしい。
その他にも、法事というのは下記のように、審判する仏様が決まっているらしい。

初七日:不動明王      百ヶ日:観音菩薩
二七日:釈迦如来      一周忌:勢至菩薩

三七日:文殊菩薩      三回忌:阿弥陀如来

四七日:普賢菩薩      七回忌:阿しゅく如来

五七日:地蔵菩薩      十三回忌:大日如来

六七日:弥勒菩薩      三十三回忌:虚空菩薩

七七日:薬師如来

天真爛漫を絵に描いたような人だったから、多分、義母は天国にいけるとは思うが、この世に食べ物の未練が残っているやも・・・(なにせ、亡くなる直前まで、「ケンタッキー」が食べたいと言っていた人で、80才を過ぎても3ピースを平らげた人だから・・・)
そんな、義母のエピソードが山ほどあって、(私の娘を筆頭に)孫達が笑いを作ってくれた。

<満中陰法要(四十九日法要)>
人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。この期間に行なう供養を中陰供養といいます。
『梵網経』には、
例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあります。49日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。
また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。

(お葬式プラザから引用:http://www.osoushiki-plaza.com/library/sikitari/manchuin.html#pagetop)

2009/10/12

大腸ガン健診(内視鏡検査) 今後受検される方のために---克明(?)な経験記録

毎年会社の健康診断で実施される大腸ガン検診にひっかかった。

内視鏡検査を実施することになり、会社の系列病院にまず事前手続きへ。

 

手続きはおおむね次の流れ。

(1)採便で、鮮血反応を確認され本人に通知が来る。

(2)内視鏡検査を希望の病院で受診手続きをとる。

(3)内視鏡による詳細検査の前に、医師からの説明を受ける。

というよりは、内視鏡検査で、万が一腸壁を傷つけてしまうことがあるが、それでもよければ同意書にサインして。というのが主旨で、検査前日に服用する下剤をくれる。

(4)前準備 検査3日前から排便状態をチェックし、食事は繊維質をさけたものにする。

(5)前日21時と22時に2種類の下剤を服用

(6)当日8時半に病院に入り、午前中下剤を1.8L飲んで、おなかの中を空っぽにする

(7)午後から、内視鏡の検査をし、もしポリープ等の異常があれば採取

(8)採取したサンプルを分析・診断

<家族会議>

老人介護をしている娘が下剤の袋を目ざとく見つけ、「これ一瓶飲むん?数滴でお年寄りはオムツが水浸しになるのに。どんなんなるんやろ?」と興味深々。家族会議(?)の結果では、当日の電車で移動する事は、最悪電車内でぶちまけてしまう可能性大。本人の名誉のために、病院の近くに宿泊すべし。結果については仔細を家族に報告する事になった。

 

以下、内視鏡検査までの顛末を・・・

 

9月9日(水) 

 <検査前日:夕食ご近所のホテル入り・下剤を賞味?>

会社を6時前に退社し犬の散歩を済ませ、風呂に入ってから自宅で早い夕食(まるで最後の晩餐?)といってもオカカのおにぎり2個+高級梅干を食べた。

目の前で孫が、顔中ご飯粒をくっつけて一緒におにぎりをほおばっている。

カミさんに駅まで送ってもらい、電車でホテルの最寄り駅まで。少し、遠回りしながら9時前にホテルに到着。

着替えて、いつでも寝られる体制になる。

 

21時07分 ラキソベロン10mlをコップ一杯の水に溶き 一気飲み(少し甘い)

   24分 おなかがすこしグルグル言い出した。(娘の話だと、ここで即効でトイレ直行のはず・・・)

   35分 ペットボトルの「ウーロン茶」を飲むと、きゅるきゅると少々痛み

22時06分 プルゼニド2錠を服用

   15分 ペットボトルの「爽健美茶」を自販機で購入(がばがばと飲む)

   32分 便は出ず(T_T)・・・・眠りにつく

 

9月10日(木)

<事前の排便---下剤の効果と時系列>

4時20分 出ず

5時20分 ガスばかり・・・

6時00分・35分・54分・7時35分 微量の排便
  (前日昼、会社の給食に出た「金平ごぼう」の繊維が悪かったのか・・・?)

7時30分 ホテルをチェックアウト(当然、朝食抜き)

8時過ぎに病院に到着

  事務手続きの案内に従い、対応

8時30分 採血(止血の性能を確認するらしい)

  相変わらず、静脈が出ず3箇所空振りし、4度目にようやく血管にたどり着く

  (平岡看護師さんあなたのせいではありません。採血場所が暗いんです)

8時35分 下剤をくれて、部屋に案内される。

    部屋は小ましなビジネスホテル並みで、当然トイレ・ベッドと机とテレビ付

  38分 マグコロールP(1800mlのパック入り)を飲み始める

  48分 1杯目飲み干す(10分で1杯ペース)味はポカリスエット風で悪くない。おなかに変化なし

  58分 2杯目飲み干し

9時18分 3杯目飲み干し(≒900ml)

  25分 ①微量の排便(ウォシュレットは水勢が弱い)

  40分 4杯目

  45分 ②水状の便が出る

10時03分  ③水状の排便(固形の残便感あり)

  08分 5杯目

  26分 6杯目

  44分 少なめの7杯目1800ml 飲み干しました)

  46分 ④水状の排便(肛門がひりひりする)

  50分 排便の状態を看護師さんに報告。便のサンプル画像(グロテスクですわ)と比較し、状況を問われる。いまいちなので、運動と水分摂取の指示あり。

11時00分 売店で「からだ巡茶」を購入 廊下を行ったりきたり。オリの中の熊を想像・・・・

  25分 ⑤排便 ほとんど水状だが、まだ色濃い (水気をとって足踏みランニングで便意)

  35分 ⑥排便 かなり色が落ちた(もう一息)

  37分 からだ巡茶(410ml)飲み干し、さらにアクエリアスを一本購入

  53分 ⑦排便 ほとんど小便状態(肛門のひりひりはだんだん酷く・・・

12時07分 ⑧排便 もう小便並み(肛門が痛い・ズボンの上げ下げがめんどくさい)

       昨夜の睡眠不足でウトウトするが、尻がトイレを督促する

 14分 腹減った。何か食いたい(終ったら何食おうかな?)

      水気の取りすぎ?気分が悪い。落ち着くまで飲むのは止めとくことにした

   30分 ⑨排便 小便も一緒に一気にシャー状態

13時 排便の状況報告し、OKが出て、いよいよ検査室で、内視鏡検査
 

<検査の状況>

すっぽんぽんになって、尻の部分が穴があいて、ふたのある下着を着用し、うわっぱりを羽織る。

診察台に上がり、横向きの姿勢で尻を突き出す。

検査の医師が、「力を抜いて下さい。局部麻酔をしますので・・・」と言いながら、尻の周りに麻酔薬を塗りたくる。きれいな看護師さんの細い指で優しくという願いも虚しく、「オッサンなにさらすねん!、ケツの穴はただれてヒリヒリすんのに、もうちっと優しくせんかい!」と心の中で泣き叫んでも聞いてはくれず・・・

やがて、目の前のモニターに我が肛門様から侵入したカメラの画像がデカデカと写しだされる。

「おっ 割ときれいやんけ」と思いつつ、カメラの先から空気がどんどん充填され、腸内はパンパン。

屁が出る<`ヘ´> シブキになって出てまう~」 と我慢していたら、看護師さんが「我慢しなくていいんですよ、ガスが出そうになったら出して下さい」と・・・理性のとりこになっていた私には天使の声に聞こえた。

 

カメラは、たまった水気を吸い出し、エアを充填しつつ、直腸からS字結腸・・・(あとわからん)・・・と、どんどん進み、大腸を一周して盲腸のところで終了。引き返しながら、要所を写真に撮っていた。

 

結果「異常なし」\(^o^)/ やっぱ、便秘の雲古で、切れた時の血がひっかかったのだと、自己評価。

 

というような事で、帰りは糖尿の天敵 「禁断の天丼」 を食べて家路に着く。

前日の夜7時から16時間ぶりの食事は、さぞかし美味しいはずであったが、水気ばかりで、腹は落ち着かず、結局翌日朝まで腹はぐるぐる。

 

大腸内視鏡検査の顛末でした。これから検査を受けるときのご参考まで・・・。

 

2009/10/08

クラス会に参加

 10月3日 中学校のクラス会に参加した。卒業生44名のうち3名が他界し、今回の参加は17名。来年還暦を迎える年のオッサン・オバサンが先生を交えて、15歳にタイムスリップする。話せど話せど話題は尽きず、5時に始まったクラス会は、2次会・3次会・4次会と場所を変え、話あり・カラオケあり・焼き鳥ありで、気がつけば朝の2時。2次会・3次会は夫婦で参加するもの、高校の同級生の店など、また新しい話題が始まる。
 シャイだった昔とは打って変わって饒舌になった旧友、打ち明けられなかった恋心を打ち明け、同じ彼女を好きだったとか・・・いくつになっても恋の話題が一番楽しい。あの時心ときめかせた憧れの彼女はただのオバサンになっていたり、あの時気がつけばよかったというくらいの美女に変貌していたり・・・。でも、話せば素朴な15歳に帰る。
 卒業以来の再開出来た者との懐かしい話。常連の参加者でも、会えばまた昔の話と延々と楽しい話は続く。
 東京オリンピックを教室で観戦するため、教室に1台づつのTVがついた。その費用は、生徒の農作業(芋拾い)の報酬2年分で賄った。(今思えば、授業を放棄して農作業を学校単位で行うなんていうのは、もっての他なはずだが、世の中が認めていた)

今回は、担任の先生が、「体も弱っていてもう先がない。近場で頼む」との事で、会場・日時を決めたが、見渡すとこの先生が一番元気だった。(耳は遠くなっていたが・・・)
最後には、次回の開催日と場所を一年先に決めて再開を楽しみに別れた。いつも思うのは同窓会にしろ・クラス会にしろ、お互いがどんなに疲れていてもみんなが元気をもらって帰れること。
水野さん風に言えば 「いやー、同窓会ってホントに良いもんですね!」

翌日、時間が出来たので、能取湖のサンゴ草を見に行ったが、2週間前に終わっていた。仕方がないので、能取岬に行ってきた。

2009/09/21

旭川総会に参加(余話)

9/19の旭川で開催された本部総会に参加してきました。目的は来年開催の支部総会の宣伝と言いながら、実は単純に総会に参加したかっただけ?

今回は、常連の土谷(7C)さんが、現在リハビリ入院中なので、責任重大?と言いながら、あまり肩肘はらず、リラックスして参加する事にしました。
参加目的の一つは、「コロポックル山荘」で、五十嵐君(右の写真)の打った蕎麦を食べる事。札幌近郊に居る、いろんな人をお誘いしたのですが、金曜日の昼では、サラリーマン現役の人にはやや辛いようでした。結局、一番暇な(?)土井先輩(3M/HP委員長)と、倉内君(7M/札幌支部長)がやってきてくれました。
お二人を待つ間、(早朝の朝飯だったため)腹の虫が鳴りっぱなしで、奥さんに「お待ちしますか?」の問いかけに対し、「すぐ食べます!」と言って、ご自慢の「辛味大根蕎麦」は、あっという間に無くなりました。蕎麦を待つ間に出してくれた枝豆・とトウキビは、三人で平らげ、メタボを忘れたひと時でした。(写真を撮るのも忘れてました)

今回の参加は、大連休の初っ端だけに、旭川便は予約できず、ようやく採れた航空券は、前日の神戸-千歳便、帰りは20日の千歳-神戸便で、結局連休を楽しむ余裕もなくトンボ帰りの日程になりました。
18日は野幌のコロポックル山荘に寄り道し、丸瀬布の姉の家から「
マウレ山荘」の湯(右の写真)につかって至福のひと時。翌19日は佐呂間まで走り、新築の姉の家と姉の初孫に対面して、美味しい搾りたての濃厚牛乳をいただいて、旭川に戻りました。

理事会では、役員改選の時期になり、会長の交代、組織改訂の話もあり時間いっぱいまで審議があって、やや疲労。
ようやく解放され、総会(懇親会)会場には、若い同窓生がわんさか(女性会員もいっぱい)いて、まさに「New story starts」の雰囲気でした。我々のテーブルには、3期~6期の同窓生がいて、諸先輩はリタイヤ後の話、再就職・再雇用の話で盛り上がり、懇親会の最後は恒例の第一応援歌と、浅利支部長のエール、万歳三唱は杵築先生の音頭でお開きになりました。(それにしても杵築先生は若いです)

総会から、幹事役の後に続いて・・・・わらわらと2次会の会場へ。今回は、倉内君ともども、何故かしら 肌をいっぱい露出したきれいなネエチャンがいて、杵築先生・1期・2期の大先輩が仕切るVIPルームに紛れ込み、やや委縮(?)して水割りをちびちび・・・・と言いながら、大先輩の前で2曲も歌ってしまいました。(すんません)

その後、懇親会に出席された○○先生と意気投合し、うろうろしながら、結局同じビルの8階に上がって、生ピアノ演奏で「ビートルズ」や「イルカ」の歌を歌うはめになって・・・・翌日は声がかれてました。
「27期/制御卒です」という後輩が、なぜか私の隣の席に座っていて、「ソフト関係の仕事をしてま~す」とか・・・。「うちの会社に来ないか?今はロボットをコアにした生産ライン設備の仕事をしているが、制御屋がほとんどいないので、外注に依存。その気になったら、ユーザとのレイアウトプランからハードの設計、調達から現場調整まで何でも出来るよ~」と誘ったけども、「夫婦で同じ会社に勤めているので無理です」とあっさり断られた。(某一流大手企業だったので、給与面・福利厚生でも良いんだろうな・・・・)
ならば・・・と高専の「新卒予定でやる気のある後輩」を紹介してもらおうと、先生に頼む事にしたが、「最近の学生は・・・」という先生のトーンダウンした話。でも、よく考えると、今は偉そうにしてるけど、我々も若い頃には「最近の若い奴は・・・」と言われてきたような気がしますよね。

 

2009/09/13

青森温泉三昧

8月28日~29日家族で青森に旅行してきた。(私は約35年ぶり)

今回も、カミさんの綿密な旅行プランにのっとって、孫を含めた5人旅。
カミさんは先日友人と3人の旅で、青森の温泉の良さと、弘前ねぷた村で「ねぷた」の魅力を発見し、今度は「青森ねぶた」の比較が目的。娘の亭主はJA勤務のため、田舎館村の「田んぼアート」とおいしい料理。私は言わずと「温泉めぐり」が目的。 

念願の「酸ヶ湯温泉」の混浴(と言っても、女性は娘が入ってきただけ)で、大好きな硫黄泉を堪能したのを皮切りに、「猿倉温泉」、「板留温泉/丹羽旅館」の風呂に入り、そして宿泊はりんご畑の真ん中の観音様が目印の「南田温泉/ホテルアップルランド」。

アップルランドは、文字通り、りんご一色のホテル。宿泊客用の露天風呂にはりんごがいっぱい浮かんでいた。でも、私は最初に掘ったという源泉風呂、ガスに硫化水素が混じっているようで、風呂場は硫黄泉の香りが立ち込め、お湯も心なしか濃いような気がした。

宿の食事では、従業員の心遣いが気に入って、家族はすっかりフアンになっていた。たっぷり広い部屋を使わせていただいて、前日の雨も上がって夜明けの山並みがくっきり。朝食のバイキングでりんごジュースを堪能し、出発。

りんご畑と田んぼの間を走り、目標は田舎館(いなかだて)村の田んぼアート。ホテルで聞いた情報では、田舎館村役場の前が目的地らしい。ナビに従っ走っていると田んぼの真ん中お城風の建物が見える。それがだんだん大きくなって、目的地がこの建物。村の文化会館の上が展望台になっている。5種類の色の稲穂で絵を描いている、今年は大河ドラマの直江兼続とナポレオン。見事としか言いようが無い。案内看板を見ると、初期のものはシンプルな絵柄から毎年グレードアップして、まさに「田んぼアート」一見の価値はある。広場のテントで地元の方が売っている梨とリンゴを買ったが、まだ時期が早いようで、味は今ひとつだった。

感動を後に、岩木山の裾野の行けども行けどもリンゴ畑の間を走って、口コミ情報で評価のたかい、「嶽温泉/木島旅館」で硫黄泉を堪能。もちろんかけ流しで、熱い湯とやや温度を下げた浴槽が並んでいる。ここの風呂は病みつきなりそうだ。

またたっぷり汗をかいて、岩木神社で手を合わせ、最後は、岩木山の裾野にある「新岡温泉」。ナビを頼りに、たどり着き入り口で入浴料を払い風呂場に向かう。脱衣場入るとなんと男湯・女湯の間に番台がある(無人でしたが・・・)。まさに、地元の人が農作業の後に汗を流すための温泉の風情。いかにも地元という皆さんが石鹸・シャンプーを持参して、入っておられる。風呂場の窓は開け放され、見れば目の前を道路が通っている。ということは、道から風呂場は丸見え(笑)

もうひとつ期待以上は、「ねぶたの里」での大太鼓と「跳人」の体験。孫は帰宅してからビデオを再生し、「らっせらっせ」と言いながら踊ってる。弘前では、太鼓をたたかせてくれて、目一杯打ち鳴らすと、実に気分爽快。ついでに津軽三味線の演奏。2曲ほど聞かせてくれたが、女性で日本一になった方の演奏では、なぜか涙が出てきた。体験で津軽三味線を始めて弾いてみたが、これも癖になりそう。

天気は晴れ。岩木山を眺めながら、最後は空港近くの道の駅に寄って、店の中でまるで置物のような梟に出会い、孫と記念撮影。

今回は都合6箇所の温泉三昧。いやー青森はいいわ! 九州も良いけど、八甲田山周辺と、岩木山周辺に適度な距離で点在する温泉は結構はまりそう。

2009/07/22

ナイター観戦

阪神ファンの甥親子の誘いで、甲子園にナイター観戦。

低迷する阪神に、「前半戦最後のカードで、なんとか勝ち越しを願って」などと、期待すると落胆が大きいので、孫たちと甲子園を楽しもうと参加。

3連休の最終日、ワゴン車で出かけたが、なんと普段の倍(2時間)もかかってようやく近くの駐車場に到着。(オマリーが甲子園に駐車場はオマヘンと言ってますが、隠れたところにちょこっとだけあります)

座席は、ガチガチの阪神フアンが陣取る外野席バックネット横のライト側。ライト平野のすばらしいプレーに、「ヤクルト青木」の敵ながらあっぱれのプロの守備に感動でした。

先発下柳・捕手矢野の熟年バッテリーで試合開始。結局ココゾのチャンスで新井がブレーキ(特に盗塁タッチアウトは無残の代表格)で低迷阪神の象徴的なプレーでした。最終回金本の併殺打で試合終了。ストレスのたまる試合でした。

それでも、甲子園デビューの、孫にとっては 旺盛な食欲と、太鼓・ラッパと応援の掛け声、そしてジェット風船が印象的だったようです。

オッサンには適度な暑さに「生ビール」が何といっても最高な夜でした。
左の写真は地元「サンテレビ」の中継車です。

2009/03/29

城崎温泉

久々に城崎温泉に行ってきました。

理由は、昨年夏 たまたま投稿した俳句コンクールに入選したので、その表彰式に参加にかこつけ、温泉につかるのが目的。

入選の通知が届き本人がびっくり。俳句など中学生以来。夏の日曜日、娘家族が海水浴に行く車に便乗して、城崎温泉の外湯を3か所ほどハシゴして、暇つぶしに投稿した一句。
本人も記憶にない。 「城崎百人一句」の95番目くらいに選ばれたらしい。応募が4691句だったらしい。

  「蝉時雨 とんぼと入る 露天風呂」

よく見たら 季語に夏と秋が混在し、結果怪しげな一句ではあります・・・ (^_^;)

と言いながら、生まれて初めてのことなので、表彰式に参加。「城崎百人一首」と一緒の表彰式で、参加者のほとんどが、最優秀賞・優秀賞・佳作の人たちばかりで、入選者の参加はわずか・・・いい経験でした。

で、表彰式もそこそこに、カミさん・娘の家族と一緒に、温泉につかってきました。(右の写真:城崎温泉鴻の湯にて)

3分咲きの桜を眺めながら、最高気温10℃程の下、相変わらずよく温まる湯でした。

 

2009/02/22

霧島神社

また、鹿児島旅行に行ってきた。今回は、我々夫婦+娘夫婦&孫+姪夫婦。
今回は、姪夫婦(新婚)が初めてなので、お決まりのコースを堪能した。
指宿の「砂蒸し」と「さつま味の料理」、桜島を回って 霧島温泉に1泊。霧島温泉では不覚にも湯あたりを起こし、自慢の食欲が皆無。

翌日は、ホテルの窓から、これぞ霧島と言えるような朝霧を味わった。夜の不覚を挽回すべく、バイキングの朝食を味わって出発。

目的地は霧島神社。好きなのは、噴火で焼けた元の霧島神社の跡地の方。(写真)

天気予報では、この日は曇りだったことが嘘のように、よい天気に恵まれ、高千穂の峯もくっきりとその稜線をみせていた。
ここは、天孫降臨の地といわれる土地柄。ここに来ると、神々の結界の中にいだかれ、身も心も浄化されるようで、すこぶる気持がいい。

そして締めは、やはり温泉。湯量が自慢の「霧島ホテルの大浴場(混浴です)」と、「さくらさくら温泉」で泥パック。硫黄の匂いが数日体にしみこんでいた。

空港では、さつま揚げの試食と、「おやっとさぁ」の看板のある足湯に浸かって・・・♪。
心身ともにリフレッシュができたような気がする。

 

2009/02/11

鴨南蛮そば

今日は、国民の休日「建国記念日」ということだが、我が社は出勤日。世が世なら「非国民」扱いにされるかも・・・
という事で、一日仕事して明日は名古屋に出張する予定。名古屋も、トヨタの不振のみならず、ボーイング787が未だ初飛行出来ない事で、航空機業界も昨年までの景気は嘘のように元気がない。

ところで、昨年暮れに、起こった「タクシー運転手強盗殺人」の犯人が逮捕され、私の散歩コースで発生した事件がようやく解決された。犯人は19歳の派遣社員。人を死にいたらしめるという事に対し、麻痺しているのだろうか?

先週、我が家のカミさんは、知人が参加するイベントのおまけでマルタ共和国に行っていた。私は仕事で近隣の国に日帰り同然での出張経験しかなく、およそ「海外での観光」というものをしたことが無い。今はパスポートもきれている。
還暦になったら、「オーロラ」を見にカナダかアラスカに行ってみたいと思っている。

カミさんが留守の間、急に美味しい「鴨南蛮」を食べたくなって、丹波・篠山まで出かけた。
お供は、娘夫婦と孫。たち切り蕎麦で有名な店に3年ぶりに出かけてきた。
名物の鴨南蛮は、レアの鴨ロースをアツアツのそばの上におかれたもので、はじめて食べた感動が忘れられず、また出かけたもの。
ところが、あの味は何処に・・・鴨のうま味が感じられず、蕎麦のつゆもいま一つ。値段だけは昔のまま。聞けば娘たちも同じ感想だった。

孫が食べた「かけ蕎麦」のつゆはカツオがきいてとてもうまかったのに・・・何処が違っているかわからないが、継続することは大変なようだ。

 

2009/01/12

雪の日・続き(1/12)

3連休も最後、娘家族が、「雪をみたい・雪遊びしたい」と、兵庫県の北部へ行くというので便乗。一昨日の雪も上がり、天気は快晴。1時間半程で一面の銀世界の中。
孫よりも、娘が大はしゃぎ。
(カミさんは風邪がぶり返し、養生で自宅で待機)

出石で蕎麦を食べて満腹し。豊岡の「コウノトリの郷公園」へ。
放鳥された、コウノトリが、大空を群舞している姿に感動した。
飛翔している写真は撮れなかったが、公園のコウノトリは撮影することができた。

仕上げは、城崎温泉で雪見温泉。

孫と、露天風呂で雪遊び。

カミさんには娘が、土産の「地ビール」を買い、ついでの肴で、帰宅後自宅で酒盛り。地ビールはだいたい、美味しいと思うのはないのだが、城崎の地ビールは、
結構うまい。かつては、この地ビールレストランが城崎の外れにあって、温泉帰りに「うまい料理+地ビール」が楽しみだったが、レストランは閉鎖してしまった。(ここのシェフは、神鍋のホテルにいるらしいので一度行きたいと思っている。)

3連休は、酒飲みだった義理の弟の49日の法要もあって、体重が2kg増。 犬の散歩で少しばかりの運動を・・・

 10日:岡山の真賀温泉
 11日:法要(その後、エンドレスの宴会)
 12日:出石そば、城崎温泉

明日からは、また仕事。昨年秋から始めた自転車通勤は、メタボ対策に効果が大きく、できる限り続けるつもり、行き25分、帰り35分の道を汗をかいて通勤している。

2009/01/11

雪の日(1/10)

異常気象が続く昨今。まるで春先の大雪のような気圧配置になっている。東京で雪が降ると、大騒ぎ。NHKも民放も、メディアは東京ローカルの話を、まるで全国扱い。
北海道のオホーツク海側でも猛吹雪。西日本でも各所で大雪があり、
道路も通行止めが発生。

こんな日は、雪見温泉とばかりに、2時間かけて岡山県まで・・・。

いつもは、経費節減(?)のため軽四で出かけるが、この日はツーリングワゴンにスタッドレスタイヤを履いて快適にドライブ。やっぱ軽四より楽だわ。(普通車はいつもカミさんが使ってるのでね)
米子道の約4kmの長いトンネルを抜け、湯原に入ったとたんに、一面銀世界。道産子のDNAか、雪をみると心の中は「おおはしゃぎ」。

木の目は、春の準備に入っていました
(クリックすると大きな画像になります)

お気に入りの、真賀温泉で、筋肉と最近痛み出した膝関節をほぐす。この温泉は、肌に触れると「ぬるっとする」。お湯自身は、さらっとしたお湯だが、体の表面に微細な泡がはりついて、これがぬるっとした感触になる。炭酸ガスが混入しているのかもしれない。30分も入ると、血行は良くなり、かなりぬるめのお湯だがよく温まる。久々に来たからと、長湯しすぎると湯あたりすることもある。

帰り道は、一般道を南下して、勝山(真庭市)で蕎麦を食べるのがお決まりのコース。
最近は、中国道「勝央SA」で、「焼き芋」を買うのがお決まりに増えた。1本250円だが、芯までホクホクでとても美味しい。今回は3本買って、1本は車の中で、1本は孫の土産にしたが、かなり太いイモだったがペロリと平らげた。恐るべし2歳の食欲。思えば、この子の母親(私の娘)も大喰いだった。

 

 

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